染織史2

上代の染織
上代とは、Wikiによれば奈良時代より前という記載がありますね。そんな意味でいいのかしら。

飛鳥時代(AC6末-7C前半)
・法隆寺裂 上代の染織を伝えるうえで世界的にも貴重な文化財。
        明治10年頃東京に移送された法隆寺の献納品。
・仏教と共に、仏殿を飾る染織が伝来。
・技法
 (1).織
   絣 経絣(太子間道、太子広東ともよばれる。)
   錦 経錦(経糸に色を入れて織る。江戸時代くらいからは蜀江錦と呼ばれる)
      連珠円文 玉を重ねた紋様を連珠文、円文の縁に連珠文をめぐらせた文様を連珠円文
   羅 生糸や半練糸を用いる捩織(もじりおり)、経糸を絡み合わせた間に緯糸を通す織り方をする薄く透き通った織物
 (2).染
   纐纈 纐纈絞、鳴海絞 糸を括りつけ、染料につけて、糸を外すと、糸のついていた部分は染ま邸ない原理
   夾纈 2枚の薄板の間に幾重かに折った長い布をはさんで固く締め、板の穴から染料をつぎ掛けて染める原理
   赤い染料 茜が使われるようになる。紅より退色しにくい。
 (3)刺繍
   返し繍
   鎖繍
・具体的な文化財
 - 幡 寺の柱に掛ける組みひものようなもの。極楽のイメージ。翻ってもおかしくないような両側からみても模様が美しい
 -袈裟 罪(執着)を生ぜしめない服
      形・着用方法は、従来仏陀が着用していた衣服。インドの普段着。
      外道のものが着用する城以外の色でつなぎ合わせて方形の形を作った衣服
      一枚の布もばらばらに裁断されれば価値はなくなり人間の思惑を断ち切ることもできる。
      はぎ合わせる方法は田んぼのような形が良い
 -糞掃衣 今朝の中でも最高もの
      不浄とされている廃棄物を拾い、使える部分を洗い、はぎ合わせて作った袈裟
 -中宮寺「天寿国繍帳」 推古30年(699)、妃の橘太郎女が、聖徳太子の追善のために采女に作成させたもの
      下絵は、朝鮮・中国の渡来人によって書かれる。
      技法:返し繍
      極楽浄土の模様が描かれている。白いひだスカート(裳)や、頭陀袋、たすきのようなものなどの衣服が当時の様子を表す。
 
天平時代(-8C末)
・正倉院裂
・技法 
 (1).織
 緯錦 従来の経錦から比べると、模様の輪郭をはっきりさせ、細かい表現が可能
 複様緯錦 羅と呼ばれる技法に似ている。この表現ができたことで、錦の表現が変化。
        細い糸を使い、地を作る経糸と、模様を前に出す経糸を使うことで、輪郭をはっきりさせる。
        緯糸は変えられる。
 複様経錦 はたに経錦を取り付けるところで色を付ける
 Note:用語  経糸(たていと)=織物を織る際にタテになる糸。/ 緯糸(よこいと)=抜き糸(ぬきいと)とも言う。
 綾   従来の平地綾文綾から、綾地綾文綾へ
 綾地綾文綾
 綴織   
 (2).染
 﨟纈
 夾纈
 纐纈
 (3)刺繍
 継針刺繍 裏表両方からみても刺繍らしくなっている。
        幡(お寺の天井からつるす)のようにひるがえってみられるようなものに利用する。
 刺し繍  模様の輪郭線上に針足を揃え、内側へ刺し込む時に一針ずつ長短をつける
        鎖繍(チェーンステッチ)から変化。
 金糸の利用 当時は絹糸にコイル状に金属片を巻きつけていた。弱いので刺繍のみ使用可能。
        織物にするには弱い。現代は、糸の周りに和紙を撒いて、その上に金属を巻く。
・具体的な文化財
 -舞楽装束 襖子(あおし)・布衫(ふさん 麻などで作った単衣。襦袢の類)・半臂(はんぴ)・袍・脛裳・接腰
        伎楽(仮面劇)は、平安時代以降はすたれてしまう
        舞楽(仮面劇)は、平安時代以降も宮廷貴族の年中行事に取り入れられ、残る
 -仏教文化 幡・褥(しとね 靴下)・袈裟・調度品の袋や内張
        緯錦・三纈など、華やかな線食品が見られる。琵琶袋などがみられる
 -高松塚古墳の絵画
       裳 ひだスカート、袖が短い。下にひだがある。


平安時代
遣唐使の廃止による国風文化。伝存品なく、謎の時代

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深夜食堂1-3

病院にあったので読んだ漫画。

頼んだら何でも作ってくれるお店のお話。

グルメ本ではなく、食事にまつわる人間ドラマ編。まぁ、面白いかなぁ。たこさんウインナーとか、目玉焼きとか、一日おいたカレーとか、猫まんまとか(笑)

最近漫画は高いので買わないのです。何度も読まないですし・・・。でもたまにはいいかも。

染織史1

先日に習った内容のまとめ~。画像がないとあまり意味のないメモですが。
原始時代の染織

縄文時代(BC1万年-BC4C)
・文字の記録がない。
・織物の技術は、なかったと考えられる。出土品に出ていない。
・編物の技術は、あった。編布(アンギン)と呼ばれる出土品がある。網代編み”や“モジリ編み”と同じ技法。
 出土:忍路土場遺跡(おしょろどばいせき)(北海道)、鳥塚遺跡(福井)
 素材:大麻、苧麻(からむし)、赤麻(あかそ)、葛、藤、楮、科、おひょう(ニレ科)。なお、絹は弥生時代以降。

弥生時代(BC4C-AD3C末)
・「魏志倭人伝」
 禾稲・麻を植え、蚕桑絹績し・・・
・織物の技術が、できた。機(はた)や、紡錘(つむ)などの道具が出土品として存在。
 平織物が中心。機の機能から、綜絖によって経糸を上下させるのみ。
・養蚕、絹糸を紡いで糸を作ることが、開始される。

古墳時代(3C末-7C)
・「日本書紀」
 応神天皇14年(283): 百済より縫衣工女が渡来する。真毛津という
 雄略天皇7年(463):百済より錦部定安那錦(にしごりじょうあんなこむ)が渡来し定住する
 注:錦の意味は、色糸で文様を持ったものと考えられている。
 雄略天皇14年(470):呉国より漢織(あやははとり)、呉織(くれはとり)衣縫の兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)が渡来し、大和国檜隈野(ひのくまのの)に定住
・中国から技術が渡来する。
 漢から唐の時代(BC2-)、蜀で織物が栄えた。成都は特に栄えていた。
 羅(ら)という織物、もじりながら模様を作る-が流行った。
 素材:絹
 時期:BC1,2- 前漢から始まる。
 道具:機の構造としては簡易なので広まりやすかった。十ふるえという部品が増えればよかった。
 日本に入ってくるのは、飛鳥時代
・平織物から、経錦や、平地綾文へ。古墳内の出土品にあり。紋綜(もんばた)を用いて模様を入れる。
・古墳時代末期には、金・銀の糸も利用。


駒 敏郎著「天狗筆記物語―私説西陣の歴史 」(1977年)

駒 敏郎著「天狗筆記物語―私説西陣の歴史 」(1977年)

江戸時代の京都は、やはり、日本の中心だったのだなぁと、実感する内容。

一番面白かったところは、技術のお話。西陣は、糸を撚る技術を隠していたらしいんです。奉公人にはやらせない。その技術を盗んだ話。そして、丹後縮緬等、地方の技術の発展。

そのあとのお話は、どうやら先日講義で丁度まだやったばかりの、幕府の禁令のお話で幕を閉じます。渋い、粋、いいじゃないですか。

あー、もっと色々きれいなものみたいなぁ~。実は、博物館学のレポートは着物で書いたわたくしですが、成績は芳しくなかったでした。今ならもっと面白い企画にできるかも。あの時は、慶長小袖、寛文小袖、元禄小袖の話しか知らなかったので。
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