ジェレミー・リフキン著「限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭」

限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭

(昨日アップした記事から大幅にupdate)

うーん、このタイトルどうなんでしょう。たとえば、著者も10章(だったと思う)に述べている内容などから、私の考えていることと遠いとはおもわないのですが。

この本を読んで何かすっきりしないなと思うのは、やはりシステマチックに見えないということかもしれない。

人の教育によって、倫理感を持たせる...そういう一面もあるけれど、資本主義は資本主義の論理の中で、色々な戦いがあった。資本家と労働者の立場と収入の対立。そして、会社と消費者の対価と品質の対立。全てが理不尽を経て、バランスを作り上げてきた。またゼロからやりなおすという意味だろうか?

自分のイメージは、すべてのものが、一足飛びには協働主義にはうつれないのではないかということなのかもしれません。あるいは、資本主義からの移行にはある程度の力が必要ということなのかもしれないです。合理的に見えない場合は。

(1).たとえば、インフラ的なものと、それ以外の商品・サービスのようなものを均質に語り得るのか。

協働の定義ははっきり本のどこかに書いてあったのかわからないですが。もし、ある種のルールによって、人々が自分の利益に集中せずに資産をコミュニティで開発・運用・成長させるようなものという理解が正しいならば。今までは、お金と交換していた恩恵を、違う形で最適化した貢献によって恩恵を受けることなのではないかなぁと思います。

インフラについては、大衆の協働が働きやすいし、モチベーションがあるのだと思います。インフラについていえば、基本的人権を維持するために必要なものと思えば。

一方で、商品・サービスのシェアリングは、あくまでまだ資本主義の論理で動いていないでしょうか。資本主義の結果、激しい競争により、商品・サービスが均質化し、値段が下がって、価格崩壊現象が起こるという現象は存在しています。実際、私の関わっているビジネスはそう見えるし、このまま価格競争しかしないのであれば滅びるしかないなと考えています。ひとつは、場合によっては、シェアリングを運営する側が、市場を広げることで多くの利益を得ることができること。もうひとつは、物を製造する側は、利益の出る価格で提供できること。一人あたりの提供価格は下がるからです。少なくとも、資本主義の論理では、供給する側が減れば、価格は上がるのではないでしょうか。

(2).協働の方法は、ソフトウェアの世界は新たに必要だと思います。

ハードウェア的/自然資源(土地とか)や、ソフトウェア的なインフラは、同時には語れないのではないかと思うのです。

ハードウェア的/自然資源による恩恵は地理的な影響を受けるものなので、地理的に近いもの同士のコミュニティにならざるを得ないです。だから、やはり、国や、地方自治体など、行政のようなものによって統治されて、人々は税金を払うなどの方法で、維持管理されてきた歴史があるのだと思います。

一方で、ソフトウェア的恩恵は、たとえば、インターネットや、インターネットを通した教育も(インフラとは呼べないかもしれないけれど)、地理的な影響がないので、グローバルに均質なコミュニティになり得ますね。でも、この場合は、別の論理がいると思うのです。

ただ、オープンソースに関しても、ガバナンスといういい方は違うのかもしれないですが、なんらかの介入が必要で、多くの企業が投資してきました。標準化、セキュリティの担保なども、資本主義をベースとした企業が、相当なお金を出し合い、貢献しているのでした。何も介入なければ、安全やセキュリティは担保できないし、社会基盤としてつかえるようにはならなかったのではないかと考えています。

ですから、3Dプリンターですべての人が同質のものを安価に得られる話は安易なような気がします。もちろん、excitingな事実です。今まで、企業が、品質を担保するような形をとってきたし、法律もありました。これにかわる仕組みはすでに準備されているのかもしれませんが・・・・。

(3).協働によってすべてが同質化する?

本当にすべて協働で動いたとすれば、この世の中には、選択の自由とか、ニッチな領域美しさとか極めるとかいった概念がなくならないでしょうかね。誰もお金を払わなければそういうものも作れないですね。趣味や、個性もなくなりますかね?
 (あぁ、本当に亡くなるのかなぁ・・・。実際、減ってるようにも思えますから・・・。)

また、企業の継続性がよいことのように述べられているように感じるのですが。資本主義の目的で作られた企業が継続性を持つ必要があるのか、もつべきなのか今一つ分かりません。

著者が、記載した事実や、それについて描いた洞察について、感覚的に同意しているのですが。なんとなく大きな世界観で、もしかしたら違うのかもしれないと、頭の中でぐるぐる。

(4).結局、基本的な人権を守るためには・・・

多分、極貧困のエリアを最低限の生活できるレベルにする動きと考えます。二極化をソフトなものにするために必要な動きと考えています。

これだけでは平等そうに見えても、やはり、社会的な弱者というのはいると思います。たとえば障害があるなどによって、ここで語られる貢献と、貢献によって得られる恩恵が受けられない人々。こういう人に関しては大衆の論理では語れないことは昔から語られてきています。大衆の論理では語れない、マイノリティを守るためのルールがいるような気がいたします。ましてや、ガバナンスがソフトな社会だからこそ。

その時、人が、向上するためのモチベーションがどこにあるのかは、もう少し考えてもよい課題にも思えます。

10年後・・・どんな世界になるのでしょう。楽しみですね。この20年も、気が付かないうちに大きく世界が変わってきましたが・・・
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