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海野弘著「ハプスブルク美の帝国」

著者の名前は記憶していたが、何を読んだかおぼえていなかった。こういう時のためのブログ検索で、「パトロン物語」という本を拝読していたことが判明。

少し古い本です。私がちょうどウィーンに行った直後ぐらいの出版でしょうか。

まえがきのところで、あらためて、ハプスブルク家の起源について書かれています。ここはかなり肝でした。ハプスブルク家についての本はウィーンに行くためにかなり読みましたが、もりあがったところ・・・すなわち、マリアテレジアの前後だけ記憶に。1020年ごろ、ブルックという町に城をたて、交易で富を蓄えというところからはじまり、ダイジェストでドナウ周辺にきたところまでまとめてくださっています。

また、ここ数週間ヒトラーの本ばかりよんできたので、最初の出だしで、ドイツ人が200年の間、ウィーン人(オーストリア人?)は享楽的と評価していたという出だしにしみじみ。ドイツ人と、ウィーン人という区別を改めて頭の中で設定いたしました。

私のウィーンは、世紀末ークリムト(1862- 1918)、マーラー(1860 - 1911)、ブルックナーという世紀末のイメージや、オットー・ワーグナー、フンデルトヴァッサー氏や、フロイトとかちょっと変わった人とかのインパクトがありすぎるかもしれません。20年前まわったときの美術館も、メランコリックな不思議な現代アートが町を覆っていたのでした。若い自分の目には、世紀末から進化のない死んだ街というイメージがついちゃってました。それすらも遊びなんでしょうかね、いまや。

言われてみれば、もっと前の時代の、ワルツやら、シェーンブルン宮殿の美しいこととか、モーツアルトやリストが楽しく活動していたこと・・・。

ただ、マリア・テレジア自身は、ユダヤ人を排除しているようですね。そのあと、ユダヤ人を受け入れ、そして、世紀末では~れが活躍したり、そういった芸術を支えたりしているということも知りました。ここらへんも複雑な心持でよみました。

こうして、バロック、バロックと世紀末の間奏曲、世紀末と続きます。ちなみに、間奏曲はブルックナーでしたので、RCOのアンソロジーから、ブルックナーのSymphony No 8 in C minor (conducted by Zubin Metha)を流しながら読みました(笑)。

バロックに関する記載は、アカデミーでバロックの定義がどうなされているのかなどからはじまります。これも面白い。地域によって前の時代何が流行っていたかによって、バロックのありようがちがうということでした。特に、ドイツとオーストリアは、バロックが始まるのが、30年戦争によって遅れたため、イタリアやフランスのもっているバロック→ロココとは違う道を歩んだのではないかとされています。

最後は、世紀末についてかたられますが、ウィーンの世紀末として、マーラーで始まり、1900年初頭のカフェ文化のことと、クリムトで締めくくられます。

カフェはあるのかしら。これらのカフェ。カフェを巡る旅も面白そうですね。フロイトとカフェのお話は少し笑ってしまいました
・アドルフローフの作ったカフェ
 - カフェ ムゼウム http://www.cafemuseum.at/
 - カフェ カプア
- アメリカンバー https://www.loosbar.at/ 
・文学カフェ
 -カフェ グリーンシュタイドル http://www.cafegriensteidl.at/
・おしゃれカフェ
 - カフェ ハインリッヒホーフ
・音楽家のカフェ
 - カフェ ラントマン http://www.landtmann.at/
 - カフェ ツェントラル
・画家のカフェ
 - ブラウエン・フライハウス
 - カフェ・シュペルル

そして、クリムトの人生・・・

また足を踏み入れたら、イメージと違うウィーン・・・特に、バロックにもう少し気を付けてみることと、カフェ文化の面影があるか・・・みてみたいです。ザッハートルテ食べることに注力している場合ではないですね。
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