犬山祭の犬山市

朝は、犬山城から・・・

駅からお城が見える。ほとんど平らなのに、お城があるところだけ、盛り上がっている。不思議。そして、木曽川に沿って、犬山温泉というさびれた看板が見える。いつごろこのあたりは栄えたのかしら。
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お城は、1500年代に織田 信康城主として建てられたらしい。9時前に城門に到着。お城が見えない。こんなつくりは普通なのかしら。あまり、他のお城はどうだったか思い出せない。

現存するお城とは言ってもいろいろありそうです。戦争による破壊ではなく、地震やら、雷やら、明治の廃藩置県で廃城のときに天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊されたり。あまり勉強せずに出かけたら、いつも通り、ちゃんとはわかりませんでした。ネットでも情報は十分ではないみたい。何かまとまって書かれている書籍でも読まないと。でも、確かに城壁のあたりや、お城の中の地下の石垣、当時のままではないなとは思いました。

さて、中に入ると、冷える。冷える。それに、階段がなぜこんなに上りにくいのかしら。こうしてのぼった天守から見る景色は格別ですね。
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元和3年(1617?)成瀬家が当主になってから、廃藩置県まで、成瀬家が当主であったようですね。江戸時代は平和な成瀬のお殿様だったのかなぁ。なぜ犬山祭が寛永12年(1635)ごろにはじまったんでしょうかねぇ。なにかあったのでしょうか。

そのあとは、茶室見学。有楽庵に参ります。チケットは1,000円でございます。

この建物がなぜここに移築されたかという話からガイドさんがしてくださいました。明治村へという案もあったのだが、それは時代が異なるし、やはりこの犬山遊園あとにということになったらしい。このあたり、三井財閥との関係も深いというご説明も受けましたが、様々な経緯、第二次世界大戦などとの関係説明ありましたが、脳に沈着しませんでした。

花こそほとんどなかったのですが、ぶんご梅(?)という梅がみえます。

ついに、如庵初対面。もっと早く来ないとわすれちゃうのにね。

如庵は、元和4年(1618年)に建築とされているそうです。

たくさんのかたがいらっしゃり、写真はあまりとれませんでした。また、如庵の中に入るのは限定期間のみということで、外の窓からのぞきます。勝手口からは給仕の動線に沿って斜行する壁を立て足元には三角形の板畳である鱗板は見えました。色々ならったのにわすれてしまいました。やっぱり習ってすぐ見ないとね。有楽窓も。

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今日学んだことは、有楽が、竹と椿を好きだったということ。有楽と名付けられた椿の種類があるらしいです。亀甲竹とか班竹とかいう名前の竹が植えられていました。この竹まで移植したんでしょうかねぇ。写真は亀甲竹。
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それから、元庵も拝見。

大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元。三畳台目の茶室内部は奥に深い間取りで、亭主床と呼ばれる床構えになっているらしい。

わりと、図面が残っているらしく、有楽の隠居所で入母屋造の旧正伝院書院も、途中で作り変えられた部分も、図面に基づいてもとにもどされたという説明だったような・・・。窓の形とかが途中で変わっていたようです。それにしても、含翠門の絵画的な感じは印象的でしたぁ。茶室楽しいです。



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