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宮本直美著「コンサートという文化装置」

宮本直美著「コンサートという文化装置

クラシックファン必見。

いやぁ、私って、うんちく苦手なもので。ワインも、音楽も、好きだけど、苦手意識高いんですよね。うんちくおぼえられない。おいしかったり、楽しかったり、感動するだけじゃダメですか?あの各楽章の間に咳をゴホゴホするのもなんか変な感じでしょう(笑)。

本では、19Cくらいからあとを中心に語られています。当時、オペラ、交響曲がどのように演奏されていたかかかれています。今のように交響曲が全部続けて演奏されることはなかったこと。もっと騒がしく聴いていたこと。そもそも、一番よく聞こえるわけでもないボックス席は、聞く場所ではなく、見せる場所だったこと。モーツワルトが神童というのも、ある意味「見世物」的な意味で神童と呼ばれたなんていうお話は、今までの理解をかえてくださいました。バッハの公共強を書いていない理由なんて、てっきりまだ交響曲がないからと思っていたら違いました。

観客が沈黙するようになった理由、交響曲が通しで演奏されるようになった理由、繰り返し聞かれることの意味、教養・ステイタスとしての位置づけへの変化する理由などが個人的には面白く感じました。当時の演目や、パンフレットに記載されている内容や、その他の論文の引用などから検証していきます。

これから先、ネットワークやコンピュータを通して発されるオーディオや映像の質-いわゆるヴァーチャルリアリティの質が上がった時、何が起こるんでしょうね。舞台とか、存在しうるのでしょうかね。

でも、そうやって変化するのが面白いなと、最近思います。文化遺産とタグをつけても、お金がなければやはり手放さざるを得ないです。その時代にあった位置づけをうみださなければ、ただの荷物になってしまい、最後は捨てざるを得ないのだろうと思います。

歌舞伎も、大衆芸能から、明治時代に高級化されました。繰り返し演じられる古典と、新作と。新作は、繰り返されるうちに、きっと古典になります。私はやっぱり古典が好きです。浄瑠璃の中に(昭和生まれの私から)観る江戸時代理不尽とか、正義とか、それが私には面白いですし。見目麗しかったり、美しい衣装だったりも、楽しいですけどね。一方、新作は、歌舞伎である必要性・・・現代劇ではダメな理由がわからなくて。これから先どうあるべきかなんていうのも、まだまだ楽しみですぅ。
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