犬山の家めぐり

城下町ってへんなところに隠れてみどころがあります。犬山の裏門がお寺の門になっているとか。それはさておき・・・

磯部邸 (https://inuyama.gr.jp/facility/facility-41634

江戸期の建築様式を持つ木造家屋。主屋は幕末建造。起り屋根(むくりやね)は犬山市内の町家で唯一現存したもの。正面は2階建て、裏は平屋の「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。国宝犬山城大手門から延びる本町筋にあり、江戸期から呉服商を営んできました。敷地は間口が狭く、奥行きが広い「ウナギの寝床」のよう。江戸期の税金は間口の広さで決まっていたからそのようになったと言われる。

写真は、むくり屋根がきっちりうつっていなかったので、他のURLからみたほうがいいですね。

堀部家 (https://inuyama.gr.jp/facility/facility-41640)

堀部家は代々成瀬家に仕える武士。この建物は明治期に建てられたものですが、随所に武家住宅の特徴が備わっている。

奥土さんや、井戸も、とても面白い。でも、武士の家なのに、ウナギの寝床のように長い。町割りがこうなっているからでしょうか。

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そして、最後は2日目にまわった、酒屋「小島家」にある「残月の間」のうつしの特別公開を拝見いたしました。

いまひとつよくわからないのですが、酒屋さんとはいえ、もともとは武士の出身だったようです。武士を捨てこの地に移り、惣町代であったり、献上酒を創ったりされていたようです。

表千家の残月の間の写しですから、様々なところに千家の特徴をみるらしいです。桐の紋の襖とかそんな細かいところも楽しいです。。。

色々書きたいけれど、時間の関係でここまで・・・




犬山でたべたものとか・・・

 一日目の夜は、「松の里」さんで鰻を頂きました。やはり愛知県。蒸さずに、やいた鰻でした。提灯が見えるように、予約手配していただいたのでした。
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二日目の昼は、アユ釜飯。アユの塩焼きもたくさん売ってましたから、木曽川で有名なんでしょうか。
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練り歩きながら色々買ってしまいました。さすが城下町、歩いていると和菓子屋さんが各町にありそうです。食べすぎかもしれません。


ガイドブックにかいてある特産品げんこつ飴。高田屋のと、藤沢げんこつの2点を購入~
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写真を撮ってませんでしたが、五平餅。
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おにまんじゅう~。売っているお店の名前、多分オカヨシとかいてありました。
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栗わらび極み。。。
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そして甘酒~・・・
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帰りは、名古屋駅で、「あんぱんや」の餡パン何種類も、「美濃味匠」で手羽先やみそかつ、「コンパル」のえびふりゃーサンドを買って帰りました。満足満足・・・
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犬山祭

最初は、犬山遊園から犬山城に歩きましたので、城下町はとおらなかったんです。

城下町っていいですね~。なんとなくどの城下町にいっても感じる不思議と心地よい風情がございます。まっすぐな、きれいにととのえられた道。なんとなく調和した家々によってつくられるその町並み。横浜では見ない、何か平坦な、幾何学的な感じが、楽しいです。京都のうなぎの寝床にも似た町屋の間口が狭くて奥に長い区割りはまだ残っていました。

今日、明日は、魚屋町の車山についてあるきます!車山とかいて"やま"と読むそうです。

聞いた通りに正しく説明できるかわかりませんが。私の理解で。

13台の車山があります。初日は、午前中は13台街を練り歩きます、犬山駅前にやまが集合し、夜には和提灯をつけます。そして、また和提灯のつけたやまが、各町にもどります。前夜祭の盛り上がりです。
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各町では、役割にしたがって、違う色の衣装を着ているようです。緑色が宰領という役割のリーダのようですよ。多分・・・
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おはやしは、高校生以上が笛を吹き、12才くらいの子供が太鼓をたたくようです。新年になると練習するんですって。それにしても小さな子供たちは、最後夜の9時か10時すぎまで、やまに乗って声を出しながらおはやしを演奏します。今は女子も山に乗っていますが、我々が子供のころは乗れなかったんですって。

このやまは、大体5tくらいあります。やっぱりいろいろ怪我したりします。特に、方向転換することを、車切りというのですが。人は、こんな風にやまの下に入っているので、けがをしやすそうです。

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14:00くらいには、駅前に集まってきます。昔は駅のあたりなんだったのでしょうかね。

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夜になると、和提灯をつけます。全部和ろうそくなんです。ほんのりした黄色が美しくてみとれます。

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365ついているといわれているそうです。ろうそくをつけた状態で、"どんでん"という名の旋回をします。これがみものですよ。ネットにいろいろ動画がありますが、リアルで必見です。ちょうちんがなびくのが、こわいような、美しいような。

ちなみに、海老のような絵の描いた紙に文字が書かれたものがまちのそこかしこに貼られています。実は、寄付したものが張り出されますが、海老紙とよばれるのだそうです。



2日目はいよいよ本番です!

このお祭りは、もともと、からくり人形を、針鋼神社も奉納するおまつりだそうです。城主に、忠誠を示すお祭りなのだと、街の人はおっしゃっていました。このときは、おはやしをする子供たちも正装になります。


朝は8:00から町内に集まります。昨日と役割も違うんですって!緑色の服を着た方が、みんなに怪我のないよう注意をうながしていらっしゃいました。
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ちなみに、法被をきた男性陣が、たくさんへこ帯をしています。昔は、彼女からもらう帯だったそうです。勿論こんな化繊の帯ではなく、その美しい帯で、相手の思いを確かめたとおっしゃってました。しかも、沢山している方は大もての証みたいです。

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そして、魚屋町は真先という青い布をからくり人形にかぶせています。これは、真っ先に奉納するの意味だそうです。
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言い伝えによると、各町で、奉納の順番を決めるのに、何か競争が行われたらしいです。本町が途中まで一番だったのですが、魚町が何かで一番になり、一番目に奉納することになったということになっているそうです。また、枝町が実際の奉納時は一番に針鋼神社に出ていきますが、チリ払いという位置づけということでした。

ちなみに、すねた下本町だけが、やまの上についている梵天(白いもの)がついておらず、鬼瓦を付けたとよばれているそうです。

昔は、13台全てが奉納しているわけではなかったようです。ユネスコの無形遺産に登録されたことがきっかけでみんなで盛り上げようということになったとおっしゃっていたようにも思います。でも、町によっては世帯数が少なく、大変とお伺いしました。どうなっていくんでしょうね。たくさん人を呼んで、街としての収益を上げるしかないのでしょうか。ホテルとか、その辺はもう少し力を入れてもいいのかしらと思いましたが....。お祭り以外の時はさほど集客できないのでしょうか。あとで語りますが、一泊ぐらいしてゆっくりみても良い場所と思います!

ちなみに、これ、やまの位置を示すディスプレイ。やはり、世界遺産になるとお客様も多いから・・・ 
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11:00くらいになると、13台すべてが一堂に集まります。みなさん写真を撮ってくださいと、運営されている方がおっしゃっているのが印象的でした。
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奉納のからくり人形は、後ろからしか見えないのですね。ほとんどみえませんでした。1日目に「どんでん館」の25分程度のビデオでいくつかのからくりについてみせていただいて居てよかったです。

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奉納が終わった順に、城下町に戻り、やまは巡回をはじめます。子供は正装から俗な衣装に着替えるそうです。また町の練り歩きが始まります!


犬山祭の犬山市

朝は、犬山城から・・・

駅からお城が見える。ほとんど平らなのに、お城があるところだけ、盛り上がっている。不思議。そして、木曽川に沿って、犬山温泉というさびれた看板が見える。いつごろこのあたりは栄えたのかしら。
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お城は、1500年代に織田 信康城主として建てられたらしい。9時前に城門に到着。お城が見えない。こんなつくりは普通なのかしら。あまり、他のお城はどうだったか思い出せない。

現存するお城とは言ってもいろいろありそうです。戦争による破壊ではなく、地震やら、雷やら、明治の廃藩置県で廃城のときに天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊されたり。あまり勉強せずに出かけたら、いつも通り、ちゃんとはわかりませんでした。ネットでも情報は十分ではないみたい。何かまとまって書かれている書籍でも読まないと。でも、確かに城壁のあたりや、お城の中の地下の石垣、当時のままではないなとは思いました。

さて、中に入ると、冷える。冷える。それに、階段がなぜこんなに上りにくいのかしら。こうしてのぼった天守から見る景色は格別ですね。
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元和3年(1617?)成瀬家が当主になってから、廃藩置県まで、成瀬家が当主であったようですね。江戸時代は平和な成瀬のお殿様だったのかなぁ。なぜ犬山祭が寛永12年(1635)ごろにはじまったんでしょうかねぇ。なにかあったのでしょうか。

そのあとは、茶室見学。有楽庵に参ります。チケットは1,000円でございます。

この建物がなぜここに移築されたかという話からガイドさんがしてくださいました。明治村へという案もあったのだが、それは時代が異なるし、やはりこの犬山遊園あとにということになったらしい。このあたり、三井財閥との関係も深いというご説明も受けましたが、様々な経緯、第二次世界大戦などとの関係説明ありましたが、脳に沈着しませんでした。

花こそほとんどなかったのですが、ぶんご梅(?)という梅がみえます。

ついに、如庵初対面。もっと早く来ないとわすれちゃうのにね。

如庵は、元和4年(1618年)に建築とされているそうです。

たくさんのかたがいらっしゃり、写真はあまりとれませんでした。また、如庵の中に入るのは限定期間のみということで、外の窓からのぞきます。勝手口からは給仕の動線に沿って斜行する壁を立て足元には三角形の板畳である鱗板は見えました。色々ならったのにわすれてしまいました。やっぱり習ってすぐ見ないとね。有楽窓も。

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今日学んだことは、有楽が、竹と椿を好きだったということ。有楽と名付けられた椿の種類があるらしいです。亀甲竹とか班竹とかいう名前の竹が植えられていました。この竹まで移植したんでしょうかねぇ。写真は亀甲竹。
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それから、元庵も拝見。

大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元。三畳台目の茶室内部は奥に深い間取りで、亭主床と呼ばれる床構えになっているらしい。

わりと、図面が残っているらしく、有楽の隠居所で入母屋造の旧正伝院書院も、途中で作り変えられた部分も、図面に基づいてもとにもどされたという説明だったような・・・。窓の形とかが途中で変わっていたようです。それにしても、含翠門の絵画的な感じは印象的でしたぁ。茶室楽しいです。



福田浩・松下幸子・松井今朝子「江戸の献立」(とんぼの本)

おもしろいですね。

目次を見ればわかる通り、文献に基づいて分析したり、料理を再現して、それについてエッセイ風に語ったり・・・と、楽しい本です。

松井氏は、ごはんブログをかいていらっしゃるらしい ( http://www.kesako.jp/ )。 SMSでも、食べ物の話題が一番盛り上がるのは、今も昔も同じなんですね。

一月 大店のお正月―にんべんの高津家に伝わる『家内年中行事』より
二月 御畳奉行、朝まで痛飲す―尾張徳川家奉行の朝日文左衛門の『鸚鵡篭中記』より
三月 黄門様、精進で宴会―水戸光圀が聖母の菩提のために建立した久昌寺に招かれた住職の日記『日乗上人日記』より
四月 旅の楽しみ旅篭ごはん―讃岐から20人ほどでお参りした道中記『伊勢参宮献立道中記』より
五月 贅を尽くした食通の昼餐―山口如竹氏が人からマネ『献立懐日記』より
六月 海の幸豊かな越後の宴―桑名の下級武士渡部勝之助の柏崎に赴任した際離れて生活する息子に向けての『柏崎日記』より
七月 大名家、七夕のお祝い―三河半原藩の藩主安倍摂津の「慶応二年御献立帳」より
八月 流行作家、孫の誕生祝い―『馬琴日記』より
九月 御家人、引き継ぎの宴―江戸小石川に棲む御家人 小野直賢の『官府御沙汰略記』より
この原典はかなり細かく書かれているらしい。
十月 下級武士、友人宅におよばれ―紀州藩の下級武士の江戸づめ時の単身赴任日記『酒井伴四郎日記』より
十一月 中級武士宅での豪華な酒宴―武州忍版の下級武士 尾崎石城隼之の日記助『石城日記』より
十二月 隠居大名、観劇の宵―大和郡山藩主 柳沢信鴻の隠居後の日記『宴遊日記別録』より
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